公的資金注入の理論的根拠(98.12.21)
最近日債銀問題も含め議論に上る事が多い公的資金の注入について議論をまとめてみたい。
前提として、銀行は金融システムを構築している重要な要素であり、信用収縮(自分の資産が悪化すると、貸し出しをけずって資産を改善する。それがいわゆる「貸し渋り」となる流れ)が一層加速すること、また信用を仲介しているため、システミックリスク(連鎖的な倒産)が起きやすいこと、などから普通の企業とは違い、公的資金を注入して、一時的にバランスシートを改善して立て直す必要性については特に異論はないようである。
そこで、政治的な駆け引きも含み、公的資金注入に関しては、銀行の責任問題(リストラや給料の引き下げ)や透明性の拡大などのいわゆる条件を付けるかどうかが、焦点になっていた。
そこでその流れを、政治的な裏話を絡めながら見ていく。そして政策の流動性と、政治的常識が次々に破られる時代であることを検証する。
10月14日に経済戦略会議の短期提言が発表された。その内容は大きく分けると以下の3つになる。
1つは、銀行への資本注入を50兆円レベルでおこなう。その際銀行の責任問題などとは切り離して考えるというものであった。条件を付けると話しが進まないため、責任は2、3年のうちにとる事にして、速やかに注入をすすめることが不可欠、との見方である。
2つめは、10兆円の真水の政府支出をすることであった。短期経済対策では公共投資や減税だけでなく、国で不良債権を買い上げたり、中小企業の融資枠を増やすなどの政策も盛り込まれた。これはいわゆる「真水」の対策ではない。機会費用のロス(その費用を他に使ったら何が出来るか、という考え方)や土地の移転(不良債権を買い上げても所有者が移転するだけで、実質的にGDPが増大するのではない)などが考えられるからである。そこで、本質的な政府支出である真水の政府支出を、効果が上がるレベルの10兆円規模ににするためには、財政支出全体が20兆円規模になる必要があるのである。
3つめは、金融問題の処理のための政府支出を確保することである。これも財政支出の一部となる。
これらは必要な政策であるのは間違いないが、同時に年金などの社会保障の問題もふくめ、中長期での財源の見通しを付ける必要性も浮上することになる。
そしてこの提言は実は10月7日に発表の予定だったという。しかし野中官房長官からストップがかかる。民主党の枝野議員などから、公的資金はリストラや引き当て(銀行は不良債権額に応じて貸倒引当金を積む必要がある。日本の銀行はその引き当て率が低いことで知られている。そこで、その水準を高めることも必要とされる)を完了してから注入すべき、という強い政治的圧力がかかったからだという。また皆さんご存知のようにマスコミも、銀行の責任問題など、訴えやすいテーマを追求するので、公的資金の無条件早期注入についての世間的なコンセンサスはなかなかとられにくい状況であった。
そして「こうした政治的解決がなされてからの発表」というストーリーが描かれる中、14日までの間に(正確な日付は失念しました)読売新聞にリークされることになる。実は学者の間では「一刻も早く注入」という意見が支配的であった。それはクレジットパラダイムという考え方が根底にあって、それは銀行の貸し出しと他の資産の間には不完全代替の関係が成立しているので、その貸し出しを支えないとマクロ的にもたない、というものである。戦略会議の提案の1つめもそうした考えにのっとていた。注意が必要なのは、別にこの議論が責任問題をおざなりにするものではない、という事である。当然銀行の責任は重く、将来的に当該銀行は実はハードランディングになることが予想される。ただし、それを恐れて注入が遅れると取り返しのつかないことになるため、その問題は別の議論として扱うという事である。
この後実際14日発表した際のマスコミの反応は「新鮮味がないのでは?」というものだったという。すなわちリーク以降、マスコミの間では無条件注入が当然の流れになっていたのである。そして戦略会議の提案と完全に一致はしていないものの、基本的なスタンスは同じ政策が取られることになる。たった1週間で政策の常識が変わり、政策はまさに動くものであるというのを目の当たりにすることになったのである。
以上見てきたように、公的資金の注入には様々な議論があり、どれが正解かはなかなか判断しずらいが、唯一間違いないのが「スピードとの勝負」という意識の必要性である。正論をふりかざして実態を見失うと、経済的な損失はより多大なものになってしまうかもしれない。
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