財政赤字解消への政策アイディア2(00.3.30)
※投稿されたご意見を、片山が編集・一部修正
■松岡様より
結論:金融機関の健全化・効率化が重要
日本の最大の問題点は結局のところ”金が効率よく回っていない”ことに尽きるのではないでしょうか。その効率性の低下を「貨幣の流通速度の低下」として考えれば、やはり金融機関の効率化が不可欠だと考えます。
経済においての主人公はやはり私たち一人一人であり、私たちのお金の回し方に焦点を当てる立場を強調すべきだと、考えています。
今の変化の早い世の中で、お金をすばやく他の手から他の手に回しやすい環境がなければ、SupplyとDemandのGapが生じるのは当然ではないでしょうか。それを担っているのは銀行でしょうし、それ以外にも環境作りが必要でしょう。
(例) 新興企業でも上場できる株式市場
家からでもすぐにほしいものが買えるOn−line など
その意味では、財政支出は効果はないと考えます。
流れ−片山が相当編集:
お金の循環がよくなる → 必要なところへ、使われてないお金がまわるようになる → 銀行が、誰も見向きもしなかった需要を発掘
+急激に新しいものを創造することにつながる → 同時に、大きな利鞘を生み出す融資が成立しているはず
■コメント
●理論的背景●
この考え方は、松岡様も付記されていましたが、古典派の貨幣数量説に基づくものです。最初にそれを簡単に説明して、現実への対応を考えます。
この説の基本となる方程式は「MV=PY」です。
(M:貨幣量、V:貨幣の流通速度、P:物価、Y:所得)
そして松岡様の主張は「Vを上昇させれば、Yが上昇するはず」というものでした。
ただ、もともとVというのは、V=PY/Mと定義されています。(PY:名目GNP、M:マネーサプライ)この定義から上の方程式を導出しているわけですので、「V↑」は、もともとの定義に従えば、「PorY↑」か、「M↓」につながる事になります。
すなわち、物価(GNPデフレーター)、実質GNPを上昇させるか、あるいはマネーサプライを減少させる可能性があるわけです。なので松岡様の議論は若干ゆるいことになります。
※参考
ちなみに、この方程式を主張した古典派の人たちは「V,Yは一定」と仮定して、MとPの比例関係を主張したのでした。これは、古典派は完全雇用を前提としているので産出量(Y)は常に一定となり、財市場(常に一定)と貨幣市場(Mの動き)はお互い影響を与えない、と考えるからです。そして、そもそもYは一定なので、Vをいじって変化させようとする事自体意味がありません。(貨幣はベールのような働きしかせず中立性を満たす=Yには影響しない=古典派の二分法=貨幣ベール観)
また、ケインズは、Mの変化はr(利子率)に影響を与える事で、財市場にも影響を与える事を主張して、批判しました。確かに完全雇用を前提をして産出量を考えるのは、ちょっと非現実的ではありますね・・。
●現実経済への示唆●
先述の式を現在の日本経済に厳密にあてはめるのは、相当無理がありますが、そもそも完全な理論などない以上、適当な仮定をおいて、制約付きのモデルから出てくる結論を、1つの考え方として主張するのは、まさに経済学の意味です。
その意味で、金融機関の効率化を「V↑」という観点から主張するのも面白いでしょう。そして先ほどの式でも、「V↑」を「P↑、M↓」をともなわない形で実現できれば、「Y↑」の可能性もあります。(物価やマネーサプライは、日銀の政策目標でもありますので、そのコントロールは不可能ではありません)
ただ、上にも書きましたが、そもそもこのモデル自体が「完全雇用」「財市場と貨幣市場(利子率とマネーサプライ)が無相関」を前提にしていますので、相当つらいのも事実ですね・・。(=この2つはほとんどありえません)また「財政支出が効果ない」というのも、これらの前提のもとでしょうが、これらは、現実的にはほとんどsupportされないと思います。
いずれにせよ、企業収益向上による税収増のためにも、銀行の効率性上昇は欠かせません。統合などで土台を作り、あとはその中身を変容させる事です。
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