年金システムの移行と余剰変化(00.4.28)
年金システムが主に2種類あって、その移行にはコストが伴う可能性を、Policyコーナーの年金のところで説明しました。ここでは、その移行が実は余剰の改善につながる可能性を示します。(ある程度の知識を前提とさせていただきます)
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賦課方式はある期の所得再分配ですが、ニュアンスとして累進性のある所得税と同じ感じになるので、労働インセンティブの問題からdistortion(歪み)が発生している可能性があります。(ちなみに積立方式は、自分のためですから、lump-sum
tax(支出税)のニュアンスがあります。)
さて、ここで移行期(賦課→積立)の若い世代を考えます。積立方式を貯金と完全代替と考えて、完全な積立方式の状態を「若い人の年金拠出が0円の状態(=年金拠出は全部賦課方式に使われる)」とします。
若いときは、ある額を老人に支払うわけですが、自分が老人になった時にもらう額が、若い時に払ったよりもちょっとだけ少ない額でも、効用は変わらない事になります。これは、上に書いたように、賦課から積立に移行することで、distortinが少なくなるので、沢山もらえてdistortionがあるのと、ちょっと少ない額しかもらえなくてdistortionが少ない状況で効用が同じになるからです。(あるいは同じ効用になるレベルだけ支給額を下げる)
このようにして、効用を下げずに、年金の支給額を徐々に減らす事が可能であることが示せました。ここで、t(時間)を無限に取ってやれば、給付額は0に収束するのは明らかです。(つまり積立方式に完全に移行)
さらに今は、効用が無差別と書きましたが、むしろ個人にとって、支給額(もらう額)を減らすときに、減らす事による効用の低下よりも、支給額を減らした事によるdistortionの低下による効用の増加が大きい場合には、積立方式に移行することで、ネットで効用が増加している事になります。
これが冒頭に書いた含意です。しかし、この理論も個人を代表的な個人に限定していること(個人がidenticalな場合はつらい)なども問題点もあります。
ちょっと難しすぎましたか?(笑)
これがいわゆる学者の考えている理論の世界です。現実と一致しているか、というと、必ずしもそうではなく、極度の仮定の元に何らかの結果を求めています。世の中は複雑ですから、とりあえず、1つの動きについて1つの効果を見る、という感じでしょうか。複雑な動きを1度に全部捉えようとしても、それはつらいですから。